
(三)
「なぜあんなことを言ったの?」
人気のない御堂では、その囁きも妙に響くようでモヨ子はどぎまぎした。その必要がないことはわかっていても、気持ちは落ち着かなかった。
もう終礼が始まる時間で、生徒たちはすべて本館の教室にいるはずだった。御堂にはさっきまで当直の修道女がいたが、モヨ子がどうしても美佳と二人で話したいのだというと、あっさり許可して担任にまで連絡してくれた。きっと、優等生のモヨ子と、新入りの問題児美佳という組み合わせに思うところがあったのだろう。だから、ステンドグラスから午後の日差しがこぼれるこの古い御堂には、今はモヨ子と美佳しかいない。
「余計なことだった?」
口元をこわばらせるモヨ子とは対照的に、美佳は悠々とバンコに腰掛け足を組んでいた。その隣に立ったまま、モヨ子は彼女を見つめた。
猫のような目を細めて、小さな顎を僅かに上に突きだし、美佳はまるで傍観者のようだった。筋書きを知っている観客が、先の展開を知っていながらほくそ笑んでいるような、そんな表情。誰かが美佳を攻撃的だとか、悪意があるだとか噂していたのを聞いたことがある。実際に数名の生徒と問題を起こしたことも知っている。しかしモヨ子には、どうしても美佳の表情を嫌うことができなかった。それどころか、そう、まじまじと見つめて気がついたのだが、モヨ子は美佳のこの態度が好きなのである。
美佳は米沢にはない洗練された雰囲気で、どこか大人びていた。田舎特有の身内体質から一線を引いて、秘密を持っていることをどこか公然とにおわせているように見えた。ぜんぶを知っているのだ、という「秘密」。清らかな女学生には知り得ない「秘密」を胸に抱いて、そこへ入ってくる者を待っているかのようだ。
モヨ子はそこへ飛び込みたかった。そして今がその時なのだと思った。美佳は華奢な首をかしげて、モヨ子を促した。
「ねぇ? どうなの?」
「美佳さん、私」
しかし、言葉にならなかった。なぜか涙がこぼれた。顔中がかっと熱くなり、モヨ子はあわてて頬をぬぐおうとした。その手を美佳がつかむ。
「泣くことなんかないじゃない。あんなことで軽蔑するなんてばかげてるし、あたしはあいつらとは違う」
そう言って、美佳は立ち上がった。美佳はすらりとして背が高かった。そしてマッチ棒の先みたいな小さな顔がモヨ子の目の前に近づいたかと思うと、ぬる、と生温かいものがモヨ子の頬を這った。バラの花びらでこすられたような心地よさの後、モヨ子のふくよかな頬をきつく吸い上げ、美佳の唇は離れた。
得意げな美佳のまなざし。それを見つめ返すうちに、モヨ子は自分が息を止めていることに気付いた。呼吸の代わりにもっとこわばったものが体の中で脈打っているのを感じた。
「人間はキレイなものだけで生きてるわけじゃないってわかってる。あたしもそうだから。それに浅井さんは、どんなシュミしててもキレイよ。あたしあんたが好き」
美佳はそう言って、もうモヨ子には何も言わせなかった。言葉にする必要もなかった。美佳の細い腕に強く抱きしめられて、モヨ子は体の力がすっかり抜けてしまった。誰にも見つからないようおびえながら、捨てられている新聞や雑誌をあさる無様な日々が脳裏をよぎった。どこかで自身を嫌悪しながらも、憑かれたように浅ましい記事に目を通してきた。自室に持ち込んでは、とても人には言えないような行為に走ったこともあった。
しかしそれでも、美佳なら受け入れてくれる。
徐々に落ち着いてくる鼓動とともに、心地よい安心感が体に広がった。
その日から、モヨ子と美佳は秘密の楽しみを共有し合う親友となり、恋人となった。その関係は当然学園では秘密だった。ところがこの秘密は、一人で抱えてきたときと違い美しく甘美であり、ますますモヨ子を虜にしていった。
つづく