
(三)
逢い引きの舞台は常にモヨ子の部屋であった。休日の決まった時間にぶらり、と美佳が現れ、モヨ子は小鹿のように駆けて鋼の格子門を開く。
「なんだか刑務所みたいな門ね」
初めて来たとき、美佳はそう言って鼻で小さく笑った。
庭を横切りポーチを昇り、ホールの先の階段を上る。モヨ子の家は、メキシコのアシェンダ風の広々とした屋敷だった。米沢には似たような家は一軒もなかった。芸術家気取りであったモヨ子の曾祖父が、世界旅行から戻ったときに建てさせたものだという。
「女の子同士の秘密の話なんだから。部屋には絶対近寄らないでよ!」
途中で出会う召使たちにいちいち言い含めながら、モヨ子は美佳を部屋へ通す。そこには真っ白なシーツで覆われた広いベッドと書き物机、大きな本棚と衣装を入れるためのクローゼットがあった。ベッドは、モヨ子と美佳が並んで寝ても十分すぎるほどに広い。美佳が持ってきた本を読むとき、モヨ子は決まってベッドにうつ伏せになっていた。
時折、美佳を意識して足をぱたぱたさせた。ひざ丈のスカートがまくれて、白い太ももがむき出しになる。それを、美佳は椅子に座って眺めていた。机にはいつも、事前に用意させた菓子とお茶が乗っていて、美佳はモヨ子の分まで食べてしまう。この頃では美佳は、やや肉付きが良くなった。少年のようだった体より今の方が、モヨ子は好きだった。
「ねえ、これってどういうことかしら」
とかなんとかいって、モヨ子は美佳を呼ぶ。そうすると美佳はベッドの隣にやってきて、本や雑誌に書かれたいかがわしい文章を耳元で朗読する。美佳の声はハスキーで、じっとり湿っていて、耳たぶを心地よく包み込む。恍惚とするモヨ子に、美佳は命令する。口に出して読んでみろとか、読みながら体のどこかしらに触ってみろ、とか。
そういうじゃれ合いの後は、モヨ子は美佳のおとぎ話を聞きたがった。そのお話はいつも夢のように凶暴で、真っ赤な悲鳴がとどろいていた。美佳の体温と肌の感触を味わいながら、モヨ子はうっとりと空想する。
モヨ子のピンク色の脳みその中で、モヨ子はおとぎ話の登場人物だった。
ある時は恐ろしく力の強い男で、そして無垢でか弱い乙女たちを蹂躙し、かたいつぼみを握りつぶし、手の中ですりつぶすようにして殺した。ある時は美と権力を兼ね備えた女王であった。そして国中から美しい少女を集め、秘密の小部屋で、世にも醜いかたわの男たちに犯させそれを見物した。そしてまたある時は、慈善活動を生きがいとする金持ちの老人だった。そして、よなよな街を徘徊しては、身寄りのない者の皮膚を削ぎそれを張り合わせてパッチワークを作っていた。
めくるめく幻想を若い胸いっぱいに詰め込んで、モヨ子は息が止まりそうだった。絶頂の波がしょっちゅう押し寄せてきてモヨ子を喜ばせながら困らせた。美佳といるということは、そういうことだった。
「外国では若い子をもてあそぶとき、地下室を使うんだって」
裸で枕にもたれかかって、美佳はそう言った。
「地下だと、大声だされてもあんま外に聞こえないんだってさ。だからどっかから連れてきた子を、地下室に閉じ込めちゃうんだって」
「そうなの。だからそういう……」
隣で寝そべって、モヨ子は「地下室」を想像した。土の中にあって、煉瓦で補強した壁に用途様々の鉄の道具や、刃物や、X型に組まれた木の枠や、そういうものがおもちゃ箱みたいに詰まっていて、美佳の体のにおいがいっぱいに詰まっていて、そしてじんわり湿っているのだろう。
そしてその片隅には重厚な革張りの箱があって、想像の中のモヨ子はそこに腰掛けて、にこにことほほ笑んでいた。
「とってもスゴイことができちゃうのね、きっと」
「ココでそんなことしたら、あんたんちの召使が飛んできちゃうもんね」
美佳が目で指したのは、今日二人で読んだ三流オカルト誌だ。そこには、監禁した少女の指を一本ずつ削ぎ落しながら暴行を楽しんだ男の記事が載っていた。涙とよだれまみれの顔に血しぶきが飛ぶ、そんな映像がモヨ子の中で激しく揺れた。揺らしているのがモヨ子なのか、揺れているのがモヨ子なのか、モヨ子にはよくわからなかった。ただ、妄想の悲鳴だけが彼女を貫いていた。
「あ、でもさあ、この家にはありそうだよね、地下室」
想像の世界に浸っていたモヨ子の耳に、地下室、という単語だけが聞こえた。「え?」とつぶやくと、美佳は続ける。
「あんたの家って、見た目外国の家みたいじゃない。ないの? 地下室」
「地下室」
口にするだけで唇がしびれた。声は熱を帯び、モヨ子自身に重く響くようだった。
「そういえば」
モヨ子は、すっかり忘れていた出来事を思い出した。ずっと昔のこと。父の外出中に、大切な収集品を壊してしまったことがあった。それを見つけたときの父が恐ろしく、無意識に忘れていたあの日の出来事。あんなに父に怒られたのは、人生で一度きりだった。
モヨ子の父は美術評論家だった。彼の部屋には収集した買いがや彫刻などが飾られていて、幼いモヨ子の興味をひどくかきたてた。とくに気に入っていたのは、ペルシャ織の絨毯だった。
落ち着いた色使いでありながら細かい模様が織り込まれていて、端には金糸の房が並んでいた。それを腰に巻いてスカートにしたら素敵だろうなと、無邪気なモヨ子は思っていたのだ。そして、父の留守中に部屋へ忍び込み、実行した。
絨毯は重かった。端をめくって腰に巻き、モヨ子は鏡を覗こうとした。しかしもう少しのところで届かない。引っ張ってみても、重たいコレクションボックスの乗った絨毯はぴくりともしなかった。あと少しなのに。苛立ったモヨ子は、全体重をかけて絨毯を引いた。すると急にふわっと体が浮いたように感じて、次の瞬間には鏡の縁に頭から激突していた。絨毯はボックスごと床の上を滑り、モヨ子の足元でたわんでいた。勢いで棚から落ちてしまった大きな皿が一枚、真ん中からひび割れていた。まるで怒った人の口元のようだった。
しまった、とモヨ子は思った。しかし後悔とか動揺が始まるより先に、絨毯の下に隠されていたものに目がいっていた。木目張りの床には、四角いはめ戸があって、取っ手になるらしい銀色の金具が、モヨ子を呼んでいた。
廊下から、複数の足音が聞こえてきた。召使たちがさっきの音を聞きつけたのかもしれない。モヨ子はとっさに、はめ戸に飛びついた。金具の端を押すと、反対の端が持ち上がった。そこを握って引き上げると、戸は簡単に開いた。塵のいやなにおいが持ち上がってくる。その先の暗闇に溶け込むように、石の階段が続いていた。モヨ子は迷わずそこへ入り込み、はめ戸を閉じた。
暗闇の中息を殺して数秒待ったが、誰かが父の書斎に入った気配はなかった。さらに少し待ってから、モヨ子ははめ戸を押し上げた。
部屋はさっきと何一つ変わっておらず、梢が騒ぐ窓からは、優しい昼の光が差し込んでいた。
「入ったのは一度きりだけど。お父様の書斎にあったわ」
「へえ、そう」
ベッドの上で、美佳は例の笑顔を見せた。ほくそ笑むような、ぞくぞくする、ちょっと意地の悪い笑み。
「さすが浅井家のご当主さま。その地下室で一体なにしてるんだろね?」
「どうかしら。一通り見てみたけど、本棚と箱くらいしかなかったわ。きっと古い本や書き物なんかをためとく場所なのよ」
「地下室の、箱」
美佳は低い声でそうつぶやいた。美佳の唇から出ると、それはなんとも甘美な響きだった。モヨ子は、美佳を振り向いた。
「そう、地下室の箱」
「中は見たの?」
「見てないわ」
「今から、見に行く?」
美佳は乗り気のようだった。起き上がると、しなやかな体に巻きつけたシーツに手をかけた。しかし、モヨ子は首を振る。
「無理よ。私がお皿を割ってしまってから、お父様お部屋に鍵をかけてしまわれたの」
「ますます怪しいね。絨毯で隠された地下室に、鍵をかけた部屋か」
ますます美佳は楽しそうだ。モヨ子は、美佳に地下室を見せてあげたいと思った。だが、困ったことに地下室にはきっと何もない。それに父親の書斎には鍵がかかっていて、入ることができないのだ。モヨ子は考えた。
「ねえ美佳、今日は無理よ。絶対むり。今度来るときまでになんとかしとくわ。だから、それまで待って」
「なんだ、つまんないなぁ。窓でも割って入ればそれでいいじゃない」
「あのねぇ。それ、私の家の窓なのよ」
冗談っぽく言う美佳の胸にすり寄って、モヨ子はほほ笑んだ。
つづく