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800×302

(一)
 その日、モヨ子の当番は校門だった。
 まだ肌寒い、風の強い春の日だった。桜やハクモクレンの花弁が積り、掃いてしまうのがもったいないほどだとモヨ子は思った。級友たちは集めた花弁の中からきれいなものを選んで押し花にするのだという。

「きれいにできたら、モヨ子さんにも差し上げるわ」
「ありがとう」

 モヨ子はちょっと想像した。友人の繊細な指で丁寧に作られた、うぶな桜の押し花を、本のページに差し入れほほ笑む自分の姿を。

「とても楽しみだわ」

 そして他愛のないおしゃべりを交わしながら、モヨ子たちは新しく割り当てられたクラスに戻った。クラス替えがあったとはいえ、幼稚園のころから通うこの聖母園学院の生徒はほとんど顔見知りであり変わり映えはしなかった。そしてモヨ子を嫌う人間など、この学園にはいない。だからモヨ子は、まったく無防備に教室の扉を開いた。
 ところがこの日は何かが違っていた。教室には不穏な空気が漂っていた。モヨ子の方を振り返った生徒が一人、あっと息を漏らした。
 整然と並んだ机の一つに、クラスメイトたちが集まって静まり返っていた。それは、モヨ子の机だった。

 それだけですべてが理解できた。モヨ子は、頭の中で青銅色の衝撃が鳴り響くのを聞いた気がした。
 終わった。でもなぜ? きちんと鞄にしまったのに、きちんと鞄にしまったのに、絶対誰にも見られないはずだったのに、その考えが螺旋を描いて繰り返された。

「モヨ子さん、これ……」

 よれた雑誌を手にした少女が、力なくそれを差し伸べた。そこにはおよそ学園の美少女には似合わない、卑猥で下劣な見出しが並び、いかがわしい写真が載っていた。
 モヨ子はどうしていいのかわからなかった。生来白い彼女の肌はすっかり血の気が引いていた。大きな瞳は三文記事の間を泳ぎ、小さな唇は震えた。

「あなたの机から、滑り落ちてきたの」

 気遣わしげにそう言うのが誰なのかも、モヨ子にはわからなかった。もうどうしたらいいのか、モヨ子にはわからない。自分が本当に浅井モヨ子なのかもわからなくて、ただ笑うか叫ぶかしたくなった。そうしてしまおうかと思った。
 その瞬間、しんとした教室に声が響いた。


「あーあ。せっかくのプレゼントが台無しね」

 モヨ子以外の視線が一気にそちらへ集まる。

「浅井さんより先にあんたたちが見つけちゃうんだもん。つまんないわ。ま、結局浅井さんも見てくれたみたいだけど」

 一番隅の席に着いた少女がそう言って笑った。
 声音で分かった。吉野美佳。昨年の秋に都会から転入してきた少女だ。事故で身寄りを亡くし、親せき筋をたどってこの聖母園学院の修道院に預けられたのだと噂で聞いた。日に焼けて色の落ちた茶髪をさっぱりとしたショートに切った、あかぬけた娘だった。痩せてしなやかな体躯はまるで豹のようで、口調や態度は乱暴だがどこか魅力的だとモヨ子は感じていた。
 教室の温度がふっと和らいだ。誰かが問い詰めるように言った。

「ひどいじゃない吉野さん。どうしてこんなもの、モヨ子さんの机に入れるのよ!」
「別に? 純白のマドンナモヨ子サンがこういうの見たらどんな顔するのか、見てみたかっただけ」

 純白のマドンナ――。
 その言葉で、ようやくモヨ子は自分のことも思い出した。学園の憧れ浅井モヨ子。美しい容姿に優しい物腰。穢れなく清らかでみなに愛される正しい乙女。
 顔をあげると、幼なじみのヨシエが美佳に向かって例の薄汚れた雑誌を投げつけたところだった。

「あなたって最低ね!」
「やめてヨシエ!」

 モヨ子は声をあげると、つかつかと美佳に歩み寄り、彼女の足元に落ちた雑誌を拾い上げた。その表紙をもう一度、舐めるように見つめる。間違いなく、モヨ子が鞄に隠していたその雑誌を。それから顔をあげて美佳を毅然と見下ろした。

「美佳さん。ちょっと二人で話しましょう」

 美佳の、目じりのつんと上がった瞳と視線がぶつかった。彼女の口元には挑戦的な笑みが浮かんでいる。だが、それはそう見えるだけだ。この笑みの正体はいったいなんなのだろう? 彼女はいったい何のつもりで、この雑誌を自分が仕込んだかのように言ったのだろう? モヨ子はそれを突きとめなくてなならないと思った。
 暑くもないのに、脇にしっとりと汗をかいていた。


 つづく